ホントのトコロ~獣医師チップ先生のコラムで正しい知識を~
避妊・去勢手術 ~一般的な手術だからこそ~ | 2006/6(vol.2)
先日、男の子(猫)を保護した飼い主さんが、「この子はほっぺに異常があるみたいです。そのせいで捨てられてしまったみたいですね。これはもしかしたら腫瘍ですか?」と来院されました。男の子は成熟してくると頬の皮膚が分厚くなって、えらがはったようにみえます。この飼い主さんは子供の頃から何匹もの猫と暮らしてきたはずなのに、そのことを知らなかったようでした。よく話を聞いてみると、男の子はみんな1歳くらいで去勢をしてきたため、えらのはった男の子を見たことがなかったようです。「これが正常です。」と話したら、飼い主さんはおどろいていました。
このように、猫ちゃんが性成熟するころ、もしくはその少し前に去勢や避妊手術を行うことが当たり前だと考えている方は多いと思います。また私が「動物病院でよく行われている手術は何ですか?」と聞かれた場合、「一般の動物病院では猫の去勢手術や避妊手術ではないでしょうか。」と答えます。それは、皆さんにも予測できる答えでしょう。それだけ一般的に知られている、行われている手術のため、それぞれの飼い主さんや獣医師は各々の経験や知識をもとに、去勢や避妊手術に対する様々な考え方を持っているでしょう。獣医師としては、どの考え方が正しい、間違っているなどということよりも、一般的な手術であるがゆえに安全性の確保がより大切になります。また飼い主さんとしては、猫と暮らすには必ず去勢や避妊手術をしなければならないと思い込むことではなく、手術や生殖器の病気についてよく知ることのほうが大切でしょう。
ちなみに、去勢手術とは男の子の陰嚢を切開して、中の睾丸を摘出する手術で、避妊手術とは女の子のお腹を切開して、卵巣と子宮を摘出する手術(中には卵巣のみを摘出する場合もあるようです)のことです。
それは大昔の頃、最初に猫が人間の周りで暮らし始めた時よりも、現在の方がお互いの生活圏がより近くなったためだと思います。ちょっと昔の(もしかしたら現在でも)去勢や避妊手術を行う理由としては、近所や自宅で猫がどんどん増えて困るからということでした。ただ、現在は家の中だけで暮らしている猫ちゃんが多いため、その性的、精神的な問題に対して、猫ちゃんと飼い主さんのお互いが暮らしやすくなるという理由で手術を実施することの方が多いでしょう。例えば、性行動としての不適切な排尿(特に男の子の場合はその臭い)、性衝動が関連した行動(攻撃行動、不安行動、鳴く、外に出たがるなど)、その結果起こる被害(飼い主さんや猫ちゃんの怪我、声がかれるなど)があげられます。そのため、去勢や避妊手術の実施については、猫ちゃんとの暮らし方(飼育頭数、飼育方法、猫ちゃんの性格、飼い主さんの許容など)を考慮したうえで決定されることが多いでしょう。また、生殖器や性ホルモンに関連する病気の予防として実施する場合もあります。
■術前検査がとても大切■
若い猫ちゃんで一般状態に異常がない場合、「ほぼ10割」の確率で手術の経過は悪くありません。ただし、「ほぼ」です。それを「より10割」に近づけるためには何が必要でしょうか。若い猫ちゃんでも各臓器(腎臓、肝臓、肺、心臓など)の機能が低下していたり、貧血や炎症、感染症がみられる場合があります。それらの異常は手術を行う際のリスクとなります。そのため、去勢や避妊手術の場合でも、他の手術と同じように血液検査、尿検査、X線検査、超音波検査、心電図検査などを行うことで、現在の猫ちゃんの状態を把握することが必要でしょう。もし異常が見つかった時には、手術の前にその治療を行う事ができますし、その対処を行いながら手術を実施することもあります。つまり、より安全な手術が出来ると思います。ただ、去勢や避妊手術に対して、そこまでの検査が必要だと思っていない飼い主さんのほうが多いでしょう。もしくは、それらの検査を希望しない方もいると思います。そのため、実際には手術時に猫ちゃんの身体検査を行い、飼い主さんと相談した上で、最低限の検査を行うことのほうが多いのです。ただ、その身体検査についても、手術前に一度だけ受けるより、何度か繰り返して受けることで、より的確に検査の必要性や不必要性が判断できると思います。私としては、猫ちゃんが幼少のうちからワクチンやノミなどの予防、身体検査や生活指導のために、1から2ヵ月ごとに来院することをお勧めしています。それによって、猫ちゃんを経過で診察できればと思っているのです。そして一般身体検査から全身状態や成長の様子だけでなく、猫ちゃんの病院での性格まで把握できると思います。すでに2歳以上になってしまっている猫ちゃんは、特に術前検査や繰り返しの身体検査が必要でしょう。
これらのことから、現時点での私はふつうのお家で飼っている猫ちゃんに対する早期の去勢や避妊手術を勧めてはいません。また、早期手術は精神的、肉体的負担が軽くて済むという利点もあるようですが、幼い猫ちゃんの場合には予測不能なことが多い(各臓器の機能や余力の予想がつきにくい)こと、獣医師も術前の準備から手術終了までをスムースに行うためのトレーニングが必要になる(手術は全てにおいて、より急いで行わなければならない)ことなどから、より安全な手術とは言い切れないと思っています。
手術を行う際に飼い主さんが心配されているのは、「手術は痛いのではないか。」「精神的にショックを受けてしまうのではないか。」「手術をすることで害はないのか。」ということでしょう。痛みについては術前に鎮痛剤や消炎剤を投与することで対応できます。必要ならば、それらを術後も続けて投与すればよいでしょう。精神的なショックについては、先に述べたように繰り返し通院してもらう事で猫ちゃんの性格を把握し、臨機応変な対応ができると思います。例えば、猫ちゃんを預かってから手術までの時間を短くする、術後の入院期間を短くする、精神を安定させるような鎮静剤を使用する、入院室に精神を安定させるようなスプレーを使うなどで対応します。もし手術を行った後の弊害があるとすれば、その発生を予測し、予防するために術前の検査をきちんと行うことが大切だと思います。まれに女の子で避妊手術後に腹部を舐めるようになってしまい毛が生えないという話を聞くことがあります。しかし、それはどうやら手術が原因だとは言い切れないようです。もっとも考えられる弊害は「体重の増加」ですが、それも術後の食餌管理で十分に対処できるでしょう。